先生は、相手の女性に対して
私だけが謝って
息子を謝らせなかったことに関しても
相当怒っていた。
ここでは長くなるので
先生とのやりとりは省略するけれど
まとめて伝えると
先生は、
子どもに叩いたという自覚があってもなくても
形だけでも謝らせるべきだという。
私は、
形だけ謝らせることに意味はないと思っている。
私は思う。
もちろん周りの人との兼ね合いとか
その場を丸く収めrために
謝るという選択肢もあるのかもしれない。
でも
そうやって形だけ謝ることを学んだ子どもたちは
大人になっても同じことをするんじゃないかなって。
そう教わったのだから
それが自然な流れだと思う。
けれど大人になると
今度はこう言われる。
「形だけ謝られても意味はない!」と。
よく聞くセリフですよね。
「悪いと思っていないのに謝られても」
って思いますよね。
なのになぜ
子どもには
とりあえず謝らせる!
みたいなのが普通になっているのか?
私にはそっちの方が疑問だった。
小さい頃
形だけでも
悪いと思っていなくても
「こういう時は謝るんだよ。」
と言われて育ったとしたら
心を込めて謝罪することは
いったいいつ学ぶのだろう?
そんなことを考えていたら
先生の怒りを鎮めるための
謝罪のように感じて
どうでもよくなってきた。
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