こんばんは。
あなたの生き方・在り方を応援する
れいれいこと
ながせれいこです。
お母さんの中にある
「私はこうする!」
「私はこうしたい!」
お母さんのそんな思いを大切にしてほしい。
お母さんのそんな思いを応援したい。
そう感じながら書いているブログです。
少し前に書いたブログはこちらから。
★わたしはこうする!(抱き癖編)
★わたしはこうする!(お食事編)
息子が幼稚園に入る前は、
毎日のように行っていた公園。
実は、私はその公園が
大大大の苦手でした。
それは納得のできないルールが
いっぱいあったから。
そのルールを
押し付けようとしたり、誰かの行動を批判したり、
私にとって公園は試練の日々だったのです。
今日はそんな頃のお話をしたいと思います。
◆お砂場での貸し借り
私はこのお砂場での貸し借りに、
すり減るくらい氣を使いました。
お砂場に行くと多くの子どもたちは、
自分が持っていないものに目が行きます。
うちの息子もそうでした。
息子のお砂場グッズはかなり充実していたにも関わらず
他の子のものを使いたがるのです。
まず借りる時。
お友達に「かして!」と言います。
そうするとそのお子さんではなく
お母さんが答えるのです。
「いいよ」と。
私は心の中でいつも「えーっ!」と思っていました。
自分の子の意見も聞かずに、
お母さんが「いいよ。」って
親ってそんな権限あるのー?
ってか勝手に貸しちゃっていいの? 使ってる途中なのに。
私はいつもそんな風に感じていました。
せめて子どもに確認しないのかな?
「貸してって言ってるけどどうする?」みたいに。
でも、周りの友達に話しても
「みんなと仲良く遊ばないと」とか
「協調性が」とか
そんな言葉しか返ってこないのです。
いやいや、
仲良くとか協調性とかそういうことじゃなくて、
ひとまず我が子に向かって他の子が
「貸して」と言ってきたことに
「親が答えるものなのかな?」っていうのが疑問なんですけど・・・と私。
でも、その当時私が話を聞いたお母さんたちは、
それが親として普通のことだって言っていた。
それに「貸して」と言われたら
「いいよ」と答えるのがマナーだと。
現にそういう光景もよく目にしました。
「貸して」と言われた時、
オモチャを貸せない我が子に、
「貸してって言われたら、いいよでしょ!(怒)」
みたいなシーンを。
なんで、
「貸して」と言われたら
「いいよ」なのかな?
それが私にとってはそれが大きな疑問でした。
それに、
子ども自身が返事をすればいいことに親が答えてしまうのは、
子どもの主体性やコミュニケーションを親が邪魔しているようにも感じたし
我が子が今、オモチャを
「貸していい」と思っているのか?
「貸したくない」と思っているのか?
それを確認せずに親が勝手に「いいよ」と答えてしまうことが
私は、ものすごく傲慢に感じていたのです。
なので私は考えました。
「私はどうする?」を。
そうして私がたどりついた答え。
それは、
息子が答えられることは息子に答えてほしいし、
貸し借りに関しても「いい」とか「ダメ」とか「後で」とか
息子の氣持ちを大切にしてほしいということ。
なので、お砂場でお友達が息子に
「かして!」と言ってきた時、
息子がすぐに答えない時には、
息子に聞いていました。
「貸してって言ってるけど、どうする?」って。
もちろん答えは色々です。
「いいよ」の時もあれば、
「ダメ!」の時もあるし、
「後でね」の時もあったし。
でもそんな風に答えながら
その時のお友達の表情も
息子とふたりで話したりしていました。
「いいよ」と貸してあげて嬉しそうだった子の時は、
「嬉しそうだったね。」とか。
「ダメ」と言って怒ってしまったり悲しそうな子の時は、
「怒ってるのかな?」とか「悲しそうだね」とか。
でもそうやって話をしていると
まだ3歳前だったうちの息子でも
色々と感じて考えるのです。
自分が「ダメ」って言ったことで
悲しそうにしているお友達を見て
やっぱり貸してあげようかな?とか。
そんな息子を近くで見ていて私は、
自分で感じて
自分で考える力
が育っているように感じました。
そしてやっぱり
私はそれを大切にしたい!
強くそう思いました。
どうするのが正解!
なんてないんだから、
自分で感じて
自分で考えて
それを伝えて欲しいって。
そんな中、うちの息子が
「貸して」と言われ「どうする?」って
考えている最中だったのにも関わらず
「意地悪な子ね」と言われたこともありました。
少し返事を待っててくれたら、
「いいよ」って返事をするかもしれないのに、
ちょっと考えてるだけでなんで意地悪になるんだろう?
考える時間をもらうことってそんなに意地悪なことなのかな?
って思いました。
でも私は思うんです。
そのお母さんが、
例えばお料理をしていて包丁を使っている最中だとして、
その時に「貸して」と言ったら、
「今使っているから後でね。」と言いたくはならないのかな?
その時、絶対に「いいよ」って言うのかな?
「いいよ」って言わないと意地悪になるのかな?って。
そんな風に考えていたら、
もー 意地悪でも何でもええわ!
自分で感じて
自分で考えて
自分の意見を持っていて
自分の意見を伝えることのできる子になってほしいからそんな息子を応援する!
やっぱりそれが私。
というところにたどりつきました。
なのでこれが
「私はこうする!」の答えです。
お母さんひとりひとりの中に
「私はこうする!」
「私はこうしたい!」
があると思うから
私はいつもそんなお母さんを応援しています。
* * * * *
最後に余談ですが・・・
「嫌!」とか「ダメ!」っていう言葉は
伝えるのに勇氣がいるんじゃないかなって思うんです。
だからこそ、
オモチャひとつをとっても
自分の氣持ちを大切にして、
自分の氣持ちを伝えてみる。
そんな小さな練習の積み重ねで、
本当に必要な時に
「嫌!」と言える。
「ダメ!」と言える。
そんな勇氣が育つんじゃないかなって。
悪いことにさそわれた時、
それを断ることは、
自分を大切にすることだし
自分を守ることになるから
「嫌!」とか
「ダメ!」は
決して言ってはいけない言葉じゃないし、
使い方によっては意地悪になることもあるのかもしれないけれど、
大切な言葉のひとつだなって私は思っています。
自分が使っているオモチャを
使っているから今は貸したくないのって、
仲良くしてないことになるのかな?
協調生がないことになるのかな?
私はそんな風に感じていました。
自分が使っている途中だとしても
貸してあげることが仲良くしてることで
協調生があることになるのかな?
と私の頭の中は???とがいっぱいでした。
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